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4年間いた炎上案件からようやく足を洗った話

 

 

「これからのご活躍を願っています。お世話になりました。」
申し訳程度に挨拶をチャットに投稿してチャンネルをミュート。

私の激動の3年間の静かな終わりでした。

 

 

 

どうも、ぱんげあです。

 

今回は私の炎上案件に携わった3年間が幕を閉じたため、整理も兼ねて記事に残そうと思います。提案から関わり、炎上し、体調を崩して離脱し、それでも戻され、保守まで経験した3年間の記録です。

 

足を洗ってから少し経って、ようやく言葉にできそうな気がしてきたので、整理がてらの記事です。

 

3年間の煮詰められた愚痴でもあるし、振り返りでもあるような記事です。

同じような経験をした人、炎上案件真っ只中の人に何かが届けば幸いです。

 

 

 

携わった案件の概要

 

冒頭でも触れた通り、それなりに社内でも話題になったレベルの炎上案件の対応を3年間していました。そんな炎上案件の概要についてです。

 

この案件は大きな括りで言うと、他者がオンプレミスで運用していたシステムのクラウドシフト案件です。対象のシステムは不特定多数が使うシステムで、基本的にPC上で動作するシステムです。

 

 

クラウドシフトをざっくり説明すると、オンプレのシステムをそのままクラウド環境にあげるのではなく、システムの一部をクラウド環境の恩恵をより受けられるように一部改造してシステム構築しよう、というものです。

オンプレミスの構成をそのままクラウド環境に構築することを主にクラウドリフトと言います。リスクや難易度の観点から、オンプレミスのシステムをクラウド環境に持っていく方法の王道はいったんそのままの構成でクラウドリフトしてから、クラウド環境へシステムを最適化していく (クラウドシフトしていく)という方法がよく取られます。

 

今回炎上した原因の1つでもありますが、今回の案件はクラウドシフトです。しかも他社が構築したシステムで、です。

 

 

 

案件との関わり

 

私はこの案件には提案時点から関わり始めました。もともとは別部署が提案前の検証をしていたのですが、追加要因が用意できない状況の中、たまたま案件の切れ目だった私の所属していたチームに声がかかり参画することになりました。別部署と私のチームが協力して進めていく形でした。

 

最初の作業はコンペに提出する提案書作成作業。他社のリプレース案件で、かつクラウドシフトという高難易度。しかもコンペには開発元も参加していたため、私のチームのメンバーや上司はコンペの勝算は低いと高を括っており、とりあえず提案書作成の支援をして、次に始まる別案件までの食い扶持を、程度にしか考えていませんでした。そのため当時は、「無茶なスケジュールで提案するんだなぁ」程度の気持ちで、他人事で提案書を作成していました。

 

提案時点でも人が足りていなかったり、全容が良くわかっていないシステムの提案書なので筆も進まず、すでにここからかなりの残業を強いられていました。私が参画する前から居る業務知識のある方はもっと重たい部分の担当でかなり残業をしていて、見えている範囲でも法的に大丈夫なのか?と思うレベルでした。

 

そしてコンペ結果発表日。ニッコニコの笑顔でフロアに現れる営業。

 

沸く営業エリア。

 

 

対照的にお葬式モードの私のチーム。

 

 

こうして地獄の扉が開かれました。

 

 

 

地獄の日々の始まり

 

重苦しい立ちあがり

 

取れてしまったものは仕方ない。やるのであれば腹をくくってやれるだけやってみよう。と決意を新たにした途端、当初の予定とは別のチームに配属になりました。

もともと私がいたチームは私以外はみんな同じチームでした。

 

知らない人・知らないシステム・初めて経験する業務内容。経験もなく、激務で他人にかまってられるほど元気な人が少なく、みんな疲れていて気軽に質問できる雰囲気ではない。言葉通り右も左もわからない状況でした。

 

 

私が配属されたチームはいい意味で言うと新陳代謝が非常に速いチーム。

悪い意味で言うと、技術的、あるいは精神的に耐えきれずどんどん抜けては新しく入ってくるようなチームでした。そんな環境なので当然のように引継ぎという文化は醸成されず、要員が追加されてても「どうせすぐ抜けるだろう」といったなんとなく澱んだ雰囲気が漂っていました。

 

会社が決めた残業時間は超えるな、と上司からは言われていましたが、当の上司は会社の勤怠システムの穴を突いたサービス残業が常態化。勤怠システムの穴を突くことを美徳とする雰囲気すらありました。私は何があっても働くのであれば絶対にお金をもらいたかったので意地でもサビ残はしませんでしたが。。

 

約束されたリリース延期

 

そんな調子で荒れ狂う日々をリリースに向けて踏ん張って過ごしていましたが、リリースまであと3,4か月のタイミングあたりから、頻繁に作業フロアで会社の偉い人を目撃する機会が増え始めました。そして上司がその偉い人に個室に連れ出されるのを目撃することが増えました。。

偉い人を良く見かけるようになったほぼ同時期に、当時の配属されてすぐの新人が揃いも揃ってフロアの一角に集まってテストをしていたこともありました。急遽集められたであろうテスターはシステムの内容もわからず、配られた手順をただ遂行し、結果を報告するだけなので気楽そうでしたし、久しぶりに会った同期と良い雰囲気で談笑していたりしていてそこだけは和やかな雰囲気でした。テスターの管理担当は目が虚ろになりパンクしていました。

 

 

上記から察することができる通り、案の定リリースが延期。

 

 

客先と延期後のリリーススケジュールがうまく調整できず、なんだかんだで半年延期となりました。

振り返ってみると、最初から無茶なスケジュールだったことはもちろんですが、オンプレミス当時の環境を内部で作ることをしていなかったことが大きな原因だと思います。

オンプレミス環境を内部で持っていないため、発生したバグは既存バグなのか、クラウドリフトで発生したバグなのか判断ができず、対応が遅れることが多々ありました。

また、私の配属されたチームは特に顕著でしたが、ほかのチームも人の出入りが多く、忙しさも相まって引継ぎがまともにできていないのも大きな要因だと思います。

 

この案件を通して人員コントロールの重要性、というのは痛みを持って実感しました。

 

限界突破‼。。とはいかない現実

 

リリースが延期になり、余裕が少し戻ってきたと思いきや、あるメンバーが突如抜け、その引継ぎを任されたことが原因で、ギリギリ踏ん張っていた地盤が砕け散りました。前述している通り、本案件において細かい引継ぎの資料なんでものは当然ないうえに、ふたを開けてみると要件と全く違う作業をしており、引継ぎという名の新規作成状態でした。目の前が真っ暗になった、という状態です。

 

 

ここで私がメンタルを崩し離脱します。

 

 

復帰

 

医師に相談の上で、3か月休み、なんとか早く復帰を、と奮闘したのですが、復帰後に用意された席は同じ案件でした。

 

なぜなのか。

 

ちなみにシステムは離脱中になんとかリリースされました。見えているバグはいくつかあったが許容してのリリースだったそうです。

 

 

激務の運用保守フェーズの消耗戦

 

復帰練習期

 

復帰直後は会社の制度として最初の3か月は就業制限がついての復帰でした。

 

復帰後は案件は同じものの、もととは別のチームでの現場復帰でした。復帰先は提案書時点で同じ作業をしたメンバーのいるチーム。お久しぶりの見た顔のメンバーで雰囲気も前のチームよりは良かったです。(前のチームよりは。。)

 

システムのリリースはしたものの、機能追加するための開発が継続しており、開発チームと保守チームに分裂。さらに保守チームは保守の中でバグなどの対応をするAチームと、利用者からの問い合わせを担当するBチームに分割。私はBチームでの復帰でした。

 

 

復帰した当初、

 

「リリースまで走り切って少し様子を見た後に、提案時にもともとやるはずだった別部隊に引き継いで、我々はこの案件を抜ける。君にはXXの案件をお願いしようと思っている。」

 

という上位上司の言葉を信じて、2,3か月程度の我慢かな、と考えながら過ごしていました。

 

抜けられませんでした。

 

 

 

バグを許容してのリリースだったのですぐにバグ対応が始まりました。バグ対応しつつ運用も始まっているので当然問い合わせも来るので対応しないといけない、という状況のなか、当初別チームだったので、当然回答できるほどの知識があるはずもなく、メンバーに聞こうにもバグ対応でメンバーは大忙しで聞けない。じゃあ時間がかかってでもいいから設計書を見て、と思ったところ、「リプレース前から設計書の品質が悪く、設計書も正しいのかわからない」と言われる始末。

 

じゃあどうすればいいのか?ソースコードを見るしかない。

 

これまでのキャリアから、ソースコードをすらすら読んで理解できるようなスキルは持ち合わせておらず、当時は生成AIも台頭していないので、忙しい人を涙ながらに捕まえてイライラしているのを承知で飛び込むしかない。

 

これが性格的にも当時のメンタル的にも辛かった。

 

バグ対応も少しだけ落ち着いた段階からは申し訳ない気持ちにもそこまでならずに質問でき、少しづつ一人でも対応できる範囲を広げていきました。少数が超高負荷のなかで捌いていましたが、少しづつ少しづつ捌ききれず、残タスクが徐々に徐々に積みあがっていく日々でした。毎日毎日絶えず問い合わせを受けていたので本当に終わりの見えない暗闇、地獄。という気持ちでした。

 

ほどなくしてやっと管理陣が重い腰を上げてちゃんとした体制を組み、メンバーを増やしました。人は増えたものの、逆に人が増えたことで管理資料を作ったりメンバーの管理などの付随業務が増え始め、これはこれで大変でしんどく、単に人を増やせばいい、というものでもないな、ということを実感しました。。チーム運営って大変すぎない?

 

そして、このタイミングで増えたメンバーが、まさに提案時にもともと人手不足で、と言っていた別部隊からの増員でした。

 

 

「別部隊に引継ぎをして区切りの良いタイミング(期の切り替わり)で我々はこの案件を抜ける」

 

とメンバーが増えたタイミングで言った上司の言葉を信じました。

 

 

 

抜けられませんでした。

 

 

 

モチベーション激下がり期

 

メンバーが増えたことで、「問い合わせを受けたときにメンバーの負荷状況を鑑みて問い合わせの担当者割り振りを行う」という新たな役割(コントローラー)が登場しました。チームへの問い合わせ調査依頼が社内チャットツールでチームへメンションで連絡が来て、この役割のメンバーがそれを受けて個人にメンションする、という運用でした。課題管理ツールの利用の検討もしたようでしたが、この案件に対してはマッチしなかったようで管理ツールは利用していませんでした。

 

そんな状況だったので対応漏れを防止する仕組みが弱い。私は対応漏れすること、ひいてはクレームに繋がることが怖かったので、

 

「残業してでも当日振られた自分のボールはすべて手放してから終業する」

 

とマイルールで対応していました。

 

このマイルールとコントローラーの登場による仕組み作りが絶妙に相性が悪く、捌けば捌くほどに、コントローラーからは「あいつは手が空いたぞ、よし新規問い合わせを担当に割り当てたれ!」という状態になっていました。
つまり、コントローラーの割り振りが私に明らかに偏っていきます。明らかに他メンバーより対応数が多い。しかも、より悪いことに管理ツールでの問い合わせの管理ができていない環境なので、「誰がどの期間で、どれだけの数の問い合わせを対応したか」という実績が管理されているはずもなく、どれだけ1日に大量の対応をしようが、ゆっくり対応してようが、評価が上下されない制度設計になっていました。

当然、問い合わせ対応すればするほど負荷も上がるだけなのでこれは対応損なのでは?という感情が芽生え、メンバーの増加、コントローラーの登場により私のモチベーション激下がり期に突入しました。ちなみに残業時間はメンバー増強前と大差ありませんでした。

 

 

「次の区切りでようやく我々は本案件を抜ける」

と上司から再度連絡がありました。もう信じるほど私は馬鹿ではない。

 

 

さらに追い打ちをかけるように、このタイミングでチームのあるメンバーが突如社内イベントの運営に立候補しました。

理由は、「ボーナスの査定が上がると聞いたから。」とのこと。

 

言い表せないもやもやを抱えつつも、「まぁ経験になるしやってみたら?」くらいのスタンスを終始貫いていたのですが、イベントの運営会議に出るために本業の問い合わせ対応をないがしろにし始め、「後輩君が手が回らないらしいのでこの問い合わせ対応できる?今日中に問い合わせもとへ回答よろしく」と定時後にコントローラーに急に雑に投げられ、投げられた15分後に後輩君が「お疲れ様でーす。」と退社していったときは怒髪冠を衝く思いでした。本業ありきのイベント運営だろうが、と納得のいかない行き場のない怒りで目がギンギンに冴え夜も眠れない日もありました。

イベント運営でボーナス査定が上がるのなら、運営するために本業の尻ぬぐいをした「縁の下の力持ちボーナス」もつけてほしい。そんな感じでなんとも言い難い感情を抱え、モチベーション激下がり期を半年以上過ごし、上司の言う「次の区切り」が近づくなか、上司から例の連絡。

 

 

「次の区切りで我々は正式に抜けることが決まりました。ただしぱんげあ君含めた数名はサポートとしてもう少し残ります。」

 

 

 

 

……は?

 

 

キャリアへの不安と焦り

 

日々のなか保守業務をしていると、上記のようなイライラを腹に含み、腸を煮込みながらもぼんやりと輪郭の見えない将来の不安がうすく張り付いている感覚でした。

保守業務は担当システムの業務知識や、一般的にシステムというのはどういう仕組みで動いているのか、という知識が身につけられる業務ではあるものの、この案件から抜けた後に、何が次の仕事に活かせるのか?ただ時間を無駄に足踏みしていないか?という将来の不安が常に脳内にありました。

たまに会う別案件の同期と会話していると嫌でも自分と比較してしまい、そのたびまた落ち込む。そんなことが多くありました。

 

クラウド案件なので少しでも外見えをよくするためにも、なんとかして意味のあった日々だったと証明するためにも、クラウドの資格を取っておくかとも思ったのですが、結局業務負荷で思うように時間がとれず、休日やプライベートの時間を大幅に削って勉強しないといけない日々。(前述の通り問い合わせをいくら捌けど会社からの評価はあがらないので、評価をあげるためにも資格がないと。。という打算的な考えもありました。)なんだかんだプライベートの時間を削り、長期戦でAWSの資格はいくつか取れたので、そこだけは大いに自分を褒めてあげたいです。

 

片足抜け期

 

上司からの連絡の通り何人かメンバーは案件から抜け、私も今まで業務時間の100%関わっていたところから、半分弱ほどになりました。残りの半分強は別の案件をメインに働きつつも、何か障害や緊急があれば対応する問い合わせサポート要因として残りました。

この時期は主に問い合わせの状況を見て裏で担当者からの質問に答えたり、対応方針の相談に乗ったりしていました。表立ってやるとまたコントローラーにあらぬ誤解から余計な仕事を降られるのが嫌だったのであくまで裏方に徹していました。

裏の個別チャットでのサポート立ち回りをしていたのに、本流のスレッドでメンションされたり、「私さんからアドバイスがあったので~」などのコメントが投稿されるたびに「違う!そうじゃない!」と某サングラスイケおじが脳内に現れたりもしました。

 

別の案件はこの案件とは別の上司がコントロールしている案件だったこともあり、ややこしいことに巻き込まれそうなときは「別案件の方が忙しくてまとまった時間が取れないので、、」とお茶を濁していい感じに逃げてたこともありました。この時期は残業時間も落ち着き始め、気持ちはご隠居ライフ期です。

 

たまに「これはさすがに、、」と思ったものはやm表立ったところで質問があったものにはコメントしつつも「この時期にそのレベルのことをサポート要因の私に聞く?この先大丈夫か?」と不安になるような質問もあったりしました。ただ、ある時期を境に急に連絡が少なくなりました。おそらく引継ぎ先の方針で、よっぽどのことがない限り連絡するな、という意向だったのだと思います。完全に足を洗った今、特に個別で連絡は来ていないのでなんとかやってるんだろうと思います。

結局依存先がなくなったらなくなったで業務は回るし、世界は平常運転を続けるのだなぁ、とメンヘラチックな一抹のさみしさみたいなものを感じたりもしました。

 

そして徐々にフェードアウトしてはいたものの、正式に退プロ。退プロ当日は別業務でばたばたしていたこともあり、退プロして少ししてからグループチャットに挨拶。それなりの交流があったメンバーからはスタンプで反応してもらいました。それなりに世話したのにスタンプを送ってこなかった残留メンバーはしっかり名前を焼き付けてチャットを抜けました。

 

 

3年、なんとか過ごした今思うこと

 

先述の通り、足を洗ってから連絡がこないのでなんとかやってるのだろうと思います。名前がある状態ではある意味依存的に頼られていたこともありましたが、依存先がないならないで回るのが組織だなと実感しています。

 

この3年間で残業がデフォルトの体になっていたので変な癖がついてしまったのか、定時の少し前からエンジンがかかり出す負の遺産を抱え、「残業はデフォ」みたいな体になってて非常に良くない。予定業務をちゃんとこなしたうえで定時にあがっているのに変な罪悪感を感じたりします。絶対に矯正せねば。

 

3年間、炎上案件に勾留された後にリリースされ、ずっと「抜けたい、抜けたい」と思っていたのに実際に抜けた今は解放感よりも不安がかなり強いです。

 

新体制になり、関わる社内メンバーもガラッと変わりほぼ新天地状態で、はじめから人間関係を構築し直し段階です。自分の性格もあって、メンバーの地雷を踏まないように、余計なことを言わないように、、と気を張り詰め、様子見している日々で、久しくなかったタイプの対人関係のストレス襲ってきています。

 

同時に、この3年間の経験がこの新天地で活かせるのか、与えられた新しい役割を、ある程度期待通りこなすことができるのか、社会人年数相応の実力がちゃんと自分に備わっているのか、という不安が一気に押し寄せてきています。同じ案件に3年もいると、対象のシステムの知識もそれなりについて、その案件の新参者の前では偉そうな顔にできる状態だったのですこしふんぞり返っていた気がしています。

 

完全に井の中の蛙状態でした。大海を知った今、世界の広さと不明瞭さに震える日々です。

 

結局3年の経験は今後活かせることができるのか、はわからないですし、今のところ活かせてはいない気がします。この3年間の経験の結果がわかるのは3年後なのか5年後なのか、はたまた社会人生活でずっと活かす場面には出くわさないのかはわかりませんが、いつか、「あの3年の経験が活きた」と思えるシーンを待ちたいと思います。

 

 

今はあの地獄のような3年間のような業務負荷もなくなり少し余裕がある状態なので、今後のキャリアや働き方、人生設計なんてものも考えていきたいなとぼんやり思っています。メンタルやプライベートを犠牲にして得られる年収に意味があるか、もっと自分と向き合って自分に合う働き方を考えたいです。

 

そういえば最近、平日に余裕ができて寝る前に本を読めるようになったことに気づきました。文化的な生活を送っているように思います。これが小さな幸せというやつなのかもしれない。こういった小さな幸せに気づくことのできる余裕は常に持っていたいです。逆に小さな幸せがみえなくなった時が警告サインなのかもしれないです。

 

 

今読んでいる本たち。

 

 

 

 

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さいごに。。。

 

 

「社会人としてキャリアを積んでいくのであれば、炎上案件は経験しておいた方がいいよ」

 

そんな戯言は絶対に聞くべきではないです。経験すべきでない経験です。

 

 

 

 

それでは。